2017年07月01日
両忘
「
私たちは日常生活の中で、生と死、喜と怒、哀と楽、好きと嫌い、美と醜、善と悪、真と偽、そして幸と不幸など、対立する二つの価値観の間で右往左往しています。あれかこれかという決断を迫られ、どうしたらよいかの判断に窮してしまうこともしばしばです。これは生きていく中で避けられない事態だとも言えましょう。
しかし、この「両方忘れる」という禅語は、そうした対立的な価値観へのこだわりを忘れ、二元的な思考を乗り越えるべきことを教えたものです。白か黒か、自分の内か外か、というようなこだわりを捨て、時には「どっちだっていいではないか」と大らかな気持ちになることによって、清新な気持ちで物事を見つめ直すことができるかもしれません。
2017年03月16日
無事是貴人
「
私たちは幸福や救いを、自分の外部の人や物に求めがちですね。しかし、外部の人や物はしょせん他者に過ぎませんから思い通りにはならず、悶々としてしまうことになります。自分の外部にばかり目を向けることをやめ、人や物に対する執着を捨てることができれば、自分自身の可能性を信じて、安心して努力できるのではないでしょうか。
2017年02月22日
歩歩是道場
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この言葉の意味は、修行というものは道場だけでするものではない、日々の暮らしそのものが道場であり、修行なのだということです。素直でひたむきな心さえあれば、どこであっても修行の場となり得るという『
修行を特定の時間や場所だけに限定して、日々の努力を軽んじたり、場所や環境の悪さを言い訳にしてあきらめたりするということが、私たちには往々にしてあります。しかし、修行をするということは、結局のところは心がけの問題ですから、どのような条件であっても自分なりに一歩一歩努力することが大切になってくるのです。
2016年07月16日
莫妄想
「
私たちはさまざまな欲望を抱え、未来への不安や過ぎ去ったことへのこだわりを捨てることもできず、くよくよと思い悩みがちです。しかし済んでしまったことは仕方ありませんし、将来のことも今は分からないのです。そうであるならば、今この瞬間に生きることに集中して、自分で未来を切り拓くのだと前向きに考えるべきでしょう。
2016年04月01日
日日是好日
「
この言葉は一般には、毎日が吉日(平穏無事な日)というようなお目出度い意味で用いられますが、本来の意味はそうではありません。これは唐の時代のある禅僧の言葉で、どのような日も自分にとってかけがえのない一日である、という教えなのです。
皆さんも日々の暮らしの中で、楽しく喜ばしいこともあれば、悲しく辛い思いをすることもあるでしょう。しかしどのような一日であっても、自分の一度きりの人生の中の一日だと考えれば、かけがえのない大事な時間ということになります。自己のあり方を見つめ直し、今この瞬間をひたむきに生きれば、いつも新鮮な気持ちで過ごすことができるでしょう。まさにそのことによって、毎日が「好日」になるのです。