2016年03月03日
松樹千年翠
「
「松の木は千年変わることなく緑を保っている」という意味で、長寿を祝うおめでたい席などでよく用いられます。しかし、この言葉には「不入時人意(時の人の意に入らず)」、つまり「世の人の注目をひくこともなく」という句が続くことに留意する必要があります。つまりこれは、人知れぬ地道な努力の重要さを説いた言葉なのです。
季節ごとに美しい花を咲かせる樹木は人の目をひきつけますが、松の木は変化に乏しく地味な存在です。しかし、断崖絶壁などの厳しい場所でもしっかりと根を張り、長い命を保つ松は、人知れぬところで力を尽くし、成長することによって鮮やかな緑の葉を保っているのです。目立たなくとも地道な努力が、長い生命力を生み出すのですね。
2016年02月12日
主人公
「主人公」
「主人公」と言えば、テレビドラマや映画で主役の俳優が演じる人物、と一般には思われていますね。実はこれも禅語の一つで、「悟りの可能性を秘めた本来の自己」「真実の自己」というような意味なのです。皆さんが追い求めている「自分の純粋なあり方」と言い換えてもよいでしょう。
私たちはとかく周囲の目や世間の評判に気にして無理をしたり、快楽に溺れて自分の姿を見失ったりしがちです。そうした自分の現状に気づき、人生行路を歩んで行く自分本来のあり方を目覚めさせることが大事ですね。茶道の点前に打ち込んだり、心をこめて一椀のお茶を飲むように努めたりするとき、「主人公」が目覚めるかも知れません。
2016年01月04日
行住坐臥
「
この言葉は、行く、住まう、坐る、臥す(寝る)という日常生活の行動を表現したものです。この四つの行動を「威儀」と呼びますが、「威儀を正す」という言葉があるように、禅宗では日常生活のすべてが修行であると考え、規律と作法にかなった正しい行動を重んじます。そしてこうした考え方は、茶道の中でも強く意識されています。
最近よく、公共の場における人々の行儀の悪さやマナーの欠如が指摘されます。行儀の悪いだらしない日常生活や、マナーも品格もない行動からは充実した人生は実現できません。日常のきちんとした立ち居振る舞いこそが、優れた心を生むのです。
2015年12月10日
脚下照顧
「
禅寺の玄関などによく掲げられているこの言葉は、文字通り、自分の足下をよく照らして、顧みなさいという意味です。禅宗では日常生活のすべてが修行だと考えますが、最も身近な足下にこそ真理があると言うのです。目の前にあることや自分の日常を大切にすることがなければ、いくら深遠で高い理想を語っても説得力はないでしょう。
私たちはよく、目先のことに気をとらわれず、高い理想を目指して生きて行こうと教えられますね。それももちろん大切なのですが、日々の暮らしの中で一つ一つのことをしっかりとこなしていくことも同じように大切なのです。私たちの喜びは、何気ない普通の生活の中に、自分がしっかりと立っているすぐ足下にあるのかも知れません。
2015年11月04日
喫茶去
「
唐代を代表する禅僧であった
茶道においては、亭主は誰に対しても平等に相対し、客もまた地位やこだわりを捨てて茶室に入ることが求められます。そこに茶道の本質である「おもてなし(ホスピタリティ)」が成立すると言えましょう。茶道を学ぶことによって、日々の暮らしの中でも「喫茶去」という大らかで温かな態度を培うことができるといいですね。