2015年10月07日
一期一会
「一期一会」
茶席でよく用いられるこの言葉は、千利休の弟子であった山上宗二に由来すると言われます。今日のこの茶席での出会いはただ一度限りという意味で、亭主も客も心から向かい合うべきことを説いたものです。桜田門外の変で暗殺された幕末の大老で、すぐれた茶人でもあった井伊直弼の『茶湯一会集』によって広く知られるようになりました。
私たちは人生の中で無数の人々と出会いますが、どんな出会いもその時、その場所での一度限りのものなのです。毎日のように顔を合わせる家族や友人との出会いも、二度と再び帰って来ない人生の貴重な時間を共にするものだと思えば、真心をこめて素晴らしい出会いとなるように接するべきですね。
2015年09月03日
挨拶
「挨拶」
私たちが日常生活の中で普通に使っている「挨拶も」、実は禅語の一つです。「挨」も「拶」も本来は、「迫る」「押す」というような意味で、禅宗では問答によって相手の修行の進み具合を測ることを「挨拶」と言うのです。
人と人との触れ合いは挨拶から始まります。日常生活における挨拶の仕方に、その人の思いや礼儀の程度が表れて来るものであり、つきつめていけば、生き方そのものも表れると言ってよいでしょう。茶道は挨拶に始まり、挨拶に終わりますが、それは茶席における人と人との出会いを大切にし、緊密な関係を築いていこうという思いの表現なのです。にこやかで気持ちの良い挨拶は、茶道の核心にほかなりません。
2015年08月05日
和敬清寂
「和敬清寂」
この言葉は、茶祖とされる
聖徳太子の憲法十七条でも冒頭に「和を以って貴しとなす」と述べられているように、「和」という考え方は日本人が古来非常に重んじてきたものです。現代社会はともすれば、個人の利害関心ばかりが優先され、人間関係もとかくギスギスしたものになりがちです。茶道を学ぶことによって、「和敬」の精神を蘇らせることができるといいですね。
2012年05月31日
洗心
このコーナーでは、茶席で用いられる掛け軸(“茶掛け”といいます)の言葉を選び、その内容を簡単に紹介していきます。茶掛けは茶室の床に掛けられて、その茶席の趣旨や雰囲気を表現するものです。したがって、そこには茶道の目指すところが、端的に表現されているといってよいでしょう。よろしくご愛読ください。
「洗心」
茶道では仏教のなかでも、特に禅宗の言葉を重んじ、しばしばその書を掛け軸にします。この言葉も禅宗で用いられるもので、修行によって心を清め、向上させていくことを意味します。私たちは顔や手などは毎日よく洗うのに、心を洗うことは怠りがちです。しかし、本当に大事なのは心の汚れを取り去っていくことであり、それを放っておけばおくほど、汚れは落ちにくくなります。茶道を学ぶことによって、自分を見つめ直し、心の汚れに気づくことができればいいですね。
長崎国際大学 副学長 木村勝彦