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ボランティアセンター

 

「人間尊重」建学の理念と「創造力」をつなぎ復興の共存へ

 

長崎国際大学ボランティアセンター
センター長 細田亜津子

 私たちは2011年3月11日2時46分、東日本を襲った地震、直後の津波を決して忘れないだろう。その後の原発事故による人間の生活と生命の危機をも忘れてはならない。

 私たちは東日本の被災者の悲しみ、怒り、落胆、不条理そして不安を理解することができるだろうか。否である。大江健三郎は『核時代の想像力』を書き、人間がその時代を共に生きる要は想像力であると説いた。私たちは同時代を作るために想像力を駆使することは可能であり、「想像力」は私たちが共に同時代を生き抜き復興をになう一人として東日本の人たちと共存することができるからです。

 本学の建学の理念は人間尊重です。建学の理念実現と、東日本の人たちと同時代を作るために、自分はなにができるか?どこにいるか?いつできるのか?自分に問うてみよう。

 東日本大震災を記録に終わらせてはならない。「人間尊重」が言葉の空回りに終わらないように、想像力を駆使し本学の建学の理念を携えて誠実に取り組み行動していきましょう。

 ボランティアセンターはこのような学生と教職員を支援し、センターとして活動していきたいと思います。

 

2011年6月1日

長崎国際大学ボランティアセンターとは

目的

センターは、本学学生が自発的にボランティア活動を行うことにより学びを深める機会を積極的に促進するとともに、関係諸団体及び機関と連携し、地域社会及び国際社会への貢献に資する活動を支援することを目的とする。

 

  • [センター長] 細田亜津子 (国際観光学科教授)
  • [設立年月日] 平成23年4月
  • [事務局] 〒859-3298 佐世保市ハウステンボス町2825-7
         長崎国際大学事務局学生課(担当:荒巻)

活動分野

  1.  ボランティアの実戦並びにそのための事前準備及びトレーニング
  2.  学外のボランティア関係者、機関及び組織との連携・協力
  3.  地球におけるボランティア活動に関する情報の収集
  4.  ボランティア活動の報告及び記録並びに研究
  5.  ボランティア活動に際して生ずる守秘義務に関する研修の主催及び学外において行なわれる研修の受講
  6.  本学におけるボランティア活動の学内外への広報・周知
  7.  ボランティア活動に必要な保険加入等の事務手続き及び活動によって生ずるリスクマネジメント
  8.  その他、長崎国際大学ボランティアセンター運営委員会において必要と認められた事項

東日本大震災に関するボランティア活動について

早岐茶市での募金活動

本学では、3月11日に起きた東日本大震災に対するさまざまなボランティア活動を行なってきましたのでご報告させていただきます。

東日本大震災への物資仕分け作業ボランティアについて3月22日(火)~4月14日(木)の期間で本学、社会福祉学科の学生を中心に78名の学生が佐世保市広田町にあるみかん選果場で、佐世保市の各支所から集められた物資を、米、水、保存食、毛布、おむつ、生理用品等々に物資を振り分ける作業を行いました。

ダンボールで運ばれてくる物資を一度開封し、中身の個数を確認の確認及びさらに細かく振り分けを行い、現地ですぐに活用できるような形で送り出すための作業です。ダンボールの外側に何が入っているかを書き記していきます。

最終的にはトラックに積み込みを行い大村空港まで運搬する作業にも同行しました。

他にも本学学生が取り組んだ活動内容は、早岐茶市での募金活動、留学生による街頭募金活動、上柿元シェフのもとチャリティー食事会の手伝い、学生が積極的にボランティア活動を行なっています。

また、以下は国際観光学科の安部芳樹教授による8月27日~30日に岩手県の視察報告です。


東日本大震災(宮古、山田、田老)

8月27日~30日の3泊4日で、岩手県の宮古、田老、山田町を巡った。
盛岡市に宿泊し拠点とした、宮古市まで盛岡駅から約2時間、山田町までは、宮古市より50分、片道約2時間50分(バスの乗り換え時間をいれると3時間を超える)はかかる。


宮古市内の田老町までは、宮古駅から30分程度である。
 山田町に行く途中、宮古駅から山田町までのバスの窓越しに、津波に襲われ、壊れた家跡や瓦礫など津波の爪跡が痛々しかった。
仮設住宅の横も通り抜けた。場所によっては低地であっても損害が少ない地域もあった、特に高台の被害は少なかった。それにひきかえ海岸側の低地の多くは、殆どの家が壊されていた。山田町に着き、バスを降り周りを見回すと、倒壊した家の土台のコンクリートだけが残り、平野のように空間が広がり、被災前の姿は全くない。人影の見えない町をパトロールカーが巡回している姿に、秩序回復に努める町の息吹を感じた。がんばろう東北、がんばろう盛岡、がんばろう宮古など行く先々でがんばろうという文字を目にした。宮古市の土地の人からは「職業もないのに、がんばろうと言われても、がんばれない」と聞くと「なるほど」と頷く、一方復興を目指す山田町のスマイル・ガーデン山田商店街でラーメンを販売する店の人の姿を見ると「頑張っているんだなあ」と改めて感じるなど、個々において言葉かけも違うことを山田町で教わる。
 写真を撮ろうとすると、「写真を撮っていいのだろうか」と心痛を覚え、周りに人影がないかどうかを確認してシャッターを押す、津波大地震から、人の優しさを教わった。
 世界屈指の大防波堤を超えたことで有名な宮古市田老町へ29日に行く。高さ10mの防波堤を超えた津波に流されたバス停に、新しく立った田老中町のバス停の標識が、

 

流された町の家々を想い起こさせ震災の脅威を感じた。瓦礫は殆んど片付けられていた。田老町、山田町の中心街を歩いたが、人と出会ったのは、バスで同乗した人以外は、2人という少なさである。
宮古のボランティアセンターでは、瓦礫の処理にあたるボランティア活動、高齢者の話し相手のボランティア活動(サロンボランティア)を9時から行っていた。年齢や体力に応じた活動が出来る、山田町では、山田の醤油や山田町で獲れる秋刀魚の予約などの経済支援があったので、少額ではあったが購入した。
 実際に震災地に行き、役場の職員が町の人を助けに出て、津波に呑まれた話、津波の後に火事になり、水道水がでなくて消防団員の方々も燃えるに任せるしかなかった山田町の災害の悲惨さ、自衛隊や米軍支援始め多くのボランティア活動に参加した人たちへの震災地の人々の感謝の気持ち、山田町で「新潟の○○会社より、チキンが届いていますので、12時に○○場所に取りに来てください」という放送に、多くの人々の支援活動への参加と温かさを感じた。千年に一度とも言われる東日本大震災の地を巡り、人間の謙虚さの大切さを自然の脅威からあらためて自覚するとともに、被災地へのボランティア活動の大切さを実感した。

 

国際観光学科 教授 安部芳樹