社会連携トピックス
【学外講座】平成27年度前期学外講座「水の旅人」
長崎国際大学 / 国際観光学科
准教授 原 哲弘
水の旅人
川棚川(波佐見町では波佐見川と呼ばれています)
虚空像山は、至る所にある名前の山です。今回紹介するのは、長崎県川棚町にある虚空蔵山。九州のマッターホルンと呼ばれ、子供たちでも高齢者でも登ることのできる標高608.5mの山です。この山を源流として川棚川が流れています。参加者は40名であり、最高齢者が83歳、最年少が56歳であった。
山の中腹では、傾斜地を切り開いて、お茶畑があり、コンコンと湧き出る水が美味しい。そして周辺では農家がコメを生産している。当然、農地は棚田となる。土地を開墾すると石が埋もれていて、この石を利用して段差のところに並べ階段状の農地ができる。そうやって出来上がった鬼木棚田、日向棚田が綺麗な農村景観をつくりだしている。
そして林業は、谷を中心として杉の植林が広がっている。
ただ、この周辺はまだまだ自然林が多く残り生物多様性が特徴となっている。さらに川を下ると、川底から算出する石を用いて青磁を焼いて生活する陶芸村がある。三股郷や中尾山などです。清流の水、陶器に適した石を韓国人の陶工・李裕慶が発見し青磁を始めたところです。ここで重要なのが、磁器を作るのに適した石だけでなく、当時は燃料として火力の強い「赤松」が多く植林されていたことも重要な要素です。
さらに下流に下ると水を活用した今里酒造があり、酒造周辺の生活は各住戸に湧水の流れを作り飲料水だけでなく生活に密着した水の流れを見ることができます。
そこから次第に川幅を広げ流れが緩やかになります。余談になりますが、天正遣欧使節団の4人の中の1人である原マルチノは、実は波佐見町出身であったことは意外と知られていません。波佐見町の文化施設の入り口に銅像があるという事で、ちょっと寄り道をして確認しました。波佐見町の宝ですから、もっと発信したいものです。
川にかかる橋には、陶器によるデザインが施してあり車で通るだけでも陶芸の町であることがわかる工夫がされています。
波佐見温泉の湯治楼(ゆうじろう)で昼食を取り波佐見町の食材を味覚体験しました。
ここまでくると平らな水田が広がり、両岸には国土交通省が護岸の治水のために間隔が均等に植えられた「桜づつみ」があります。
更に寄り道をして、石木地区で八幡神社にある人気の湧水を汲み、試飲した後、石木ダム建設予定地をバスの車窓から見ました。
中流域の川棚川にはヤナが途中にあり、魚を取る生活やシラサギの姿を多く見受けることができます。さらに下流に下ると、人々の暮らしの中心市街地にたどり着きます。役所、図書館、常在寺、そして商業施設としてエレナやコンビニが点在しており、もちろん周辺には住宅地が水平に広がっています。
そして中心にある高台には、町全体を見渡すことのできる墓地があり、逆に言うと町のどこからでも見ることができるところに墓地が位置しています。昔のキリシタン墓地も難を逃れ、今でも教育委員会の整備により保存され見ることができます。下流に下るとJR川棚駅や川棚バスターミナルがあり、交通のターミナル拠点となっていることがわかります。
藩政時代は、平戸街道があったところで、今では車による交通の拠点です。最後にたどり着く河口は、埋立地となり、山から切り出した砕石が高く積まれ、積出港となっています。
大村藩による波佐見焼は、ここから船で長崎市まで運ばれ、西欧まで渡ったとされています。
漁師の生活のための漁港は、河口の右岸に広がっています。このように川棚川は、高低差(虚空蔵山608m)と川の長さ(20㎞)を考えると長崎県の特徴である滝のように流れる川ということになります。
私は人々の暮らしを考えるときに、いつしか川の流れに沿った人々の生活を鳥瞰することに興味を持つようになり、山と海とを同時に考えることが、これからの生活には欠かせないと思うようになりました。実は、古来より先人の知恵は、この考えが普通だったことに気付きます。人々の暮らしを考えることは、虚空蔵山を見て大村湾を考えるという結論は当然の帰結のようです。
● 参加者40名の方々は、年齢からは想像ができないほど健脚で元気で、しかも知識欲が旺盛な方々でした。高齢だからと言って加減してはいけません。逆に元気を頂いた思いです。お蔭で歩くところが多々あったにも係らず、順調に旅を続けることができました。
そして地域連携センター委員会・淀委員長、地域連携室・栗原室長、小浦氏、国際観光学科3年富澤歩美を加え合計45名による「水の旅人」でした。本当に、お疲れ様でした。